住 所   群馬県吾妻郡中之条町四万甲4236
  電 話   0279-64-2101
 営業時間   立寄り 10:00~16:00 (元禄の湯・岩風呂)
 入浴料   1200円
温泉利用状況   完全放流式
   
 源 泉 名   明治の湯
  泉 質   ナトリウム・カルシウム-塩化物・硫酸塩泉
 湧出量       ℓ/min
 泉 温   73.2  ℃
 pH   6.6
 成分総計   2.11 g/㎏
    Na=457/K=59.8/Ca=174/Mg=1.24/Al=0.07/Fe2=0.21/
  Mn=0.43(693㎎/㎏)
  F=0.7/Cl=687/SO4=454/HCO3=44.9(1190㎎/㎏)
  H2SiO3=147/HBO2=55.9(203㎎/㎏)
  CO2=25.5(25.5㎎/㎏)
            〔1997.12.17〕
 入浴履歴   初訪10.09.24 泊
 評 価   ★★★★★★★
 四万温泉
積 善 館
                             しまおんせん せきぜんかん
山荘の湯は、山荘3階でエレベー
ターを下りて左へ進んだ先にあり、
手前側が壱の湯、奥が弐の湯と呼
ばれています。

それぞれ手前に小ぢんまりした簀
子敷きの脱衣所があり、いずれも
6庫の脱衣箱が備えられています。
白壁にアーチ型の
窓が連続して並ぶ
大正ロマネスク様
式の浴場は、思わ
ず見惚れてしまう
独特の雰囲気。

入口の扉から2段
下りたところが左
右両側に4段棚と
プラスチック籠を
備えた脱衣所で、
そこからさらに2
段下りた先が浴室
となっています。
脱衣所は天井が高くてゆったりし
ており、左側には計36個の籠が納
められた3段の棚が鉤形に並んで
います。

浴場は、広々とした石板張りの内
湯と露天風呂からなり、両者は大
きな5枚のガラスによって画され
ています。
浴場は、佳松亭の5階に“杜の湯”、
山荘3階に2室設けられている家族風
呂の“山荘の湯”、本館1階に混浴
の“岩風呂”、本館1階前の“元禄
の湯”の計4か所があり、元禄の湯
と岩風呂は立寄りでも入浴すること
ができます。

到着後、早速利用させていただいた
のが、フロントの先を左手に進み、
突き当たりを20段ほど上がると奥に
ある大浴場の杜の湯です。
この本館の2階から、やはり宮崎映
画のモデルになっているという“浪
漫のトンネル”を抜けてエレベータ
ーで上がる積善館山荘は、1936年に
当時の和風の粋と技巧を凝らして造
られた桃山様式の鉄板葺き木造2階
建て(3・4階)の建築物で、軍部全盛
の1942年には、東郷英機首相も宿泊
したことがあるそうです。
大きな改変がなく建築当時の状況を復元することができ、現在も使用(客室
数23室)されている日本最古の湯宿建築として、1996年3月29日に群馬県の重
要文化財に指定されています。
当主は代々“関 善兵衛”を襲名し、土地の
人々より“せきぜん”と呼ばれて四万村の名
主を務めていましたが、5代目(?)が1691(元
禄4)年に湯場と宿を造り、3年後の1694(元禄
7)年、旅籠宿を始めた旨の口上書を代官の竹
村惣左衛門宛てに提出しています。
15代善兵衛の時に、中国儒教の経典『易経』
の「積善之家必有餘慶」(善いことを積み重
ねた家には、必ず良いことが起こる)から、
せきぜんに“積善”という字を当て、宿名に
したそうです。

創業時からの建築物である本館は、当初2階
建てで、1階は家族が使用し、2階を湯宿とし
て利用していました。
1907~1910(明治40~43)年に書院風の座敷を
有する3階部分が増築され、現在の姿となり
ました。
『積善館』は、河原の湯がある萩橋
から新湯地区の温泉街を70mほど上
った左手、宮崎 駿監督作品『千と
千尋の神隠し』のイメージモデルに
なったとされる朱塗りの慶雲橋を渡
った新湯川の右岸に所在する、四万
温泉を代表する老舗旅館です。

渓谷に臨む山の斜面に立地し、積善
館本館・積善館山荘・佳松亭積善と
いう3つの建物が、木々の中、雛壇
状に建ち並んでいます。
四万温泉は、国道145号の伊勢町上交差点から国道353号で北へ約14km、
1500m級の山々に囲まれた四万川とその支流である日向見川・新湯川沿
いに36軒の旅館・ホテルが建ち並ぶ温泉地で、草津温泉・伊香保温泉と
並んで“上州三名湯”と呼ばれています。

延暦年間(782~806)に蝦夷征討の際に立寄った坂上田村麻呂が発見した
とも、989(永延3)年頃、越後から上野国へ越えてきた源頼光の四天王の
1人である碓氷日向守貞光が、夜中読経を行っていたところ、夜半にど
こからともなく現われた童子が「汝が読経の誠心に感じて四万の病悩を
治する霊泉を授ける。我はこの山の神霊なり。」という神託を授け、お
告げのとおりに発見されたその温泉を“御夢想の湯”、その地を“四万
郷”と名付けたとも伝えられています。
元禄の湯の前に設置された飲泉所では、弱い芒硝臭と極薄ながら塩味
を感じることができますが、元禄の湯以外の各湯船に掛け流されてい
る無色透明の清澄な湯は、つるつるした肌触りが心地良いものの、湯
張り時に加水しているためか、ほとんど無味無臭となっています。
一方、元禄の湯では、冷却した源泉を加えて湯温調整された湯が、浴
槽の底からドンドコ注がれ、周りの床は常時洪水状態。
鮮度が保たれているのか、浴槽内でも成分臭が仄かに香り、湯口では
痕跡的ながらも芒硝臭と焦げたような石膏臭が感じられました。

念願が叶ってようやく入湯を果たすことができた歴史的な湯。
次回は本館に宿泊して、往時の湯治客の気分を味わってみたいと思い
ます。                       〔12.04.09〕
橙黄色のタイル張りの浴室には、白御影の石板で造られた長
方形の湯船が5つ配され、一番手前の湯船のみ2.4×1.2m強の
大きさで、残り4つは1.5×1.15mほどでした。
4か所あるこの宿の
浴場の中でもやはり
白眉は、慶雲橋を渡
るとすぐ右手、1930
年に建てられ、山荘
や廊下橋とともに国
の登録有形文化財に
登録され、群馬県の
近代化遺産にもなっ
ている「前新」の1
階に設けられた鉄筋
コンクリート造りの
浴場、元禄の湯でし
ょう。
女性専用となる夜8時半からの1時
間以外は混浴となっている岩風呂
は、山荘から浪漫のトンネルを抜
けて本館の2階を右奥に進み、突
き当たり左手の階段を16段下りた
ところにあり、一応男女別に分か
れている簡素な脱衣所には、20庫
の脱衣箱が備えられています。

浴室は脱衣所からさらに5段下が
った位置にあり、採光のためにガ
ラスブロックが嵌め込まれた奥に
寄せて、荒々しい利根川の青石を
三方の壁に埋め込んだ石張りの2
槽の湯船が設けられていました。
弐の湯
壱の湯
佳松亭積善
本 館
モザイクタイル張りの浴室には、径
1.4mほどの円形と幅1.7m、奥行き
1.25mの半円形の2つの湯船が配さ
れ、利用した壱の湯では、手前の円
形浴槽が少し熱め、奥が適温となっ
ていました。
内湯には、ガラスの前
に紅御影で縁取った大
小2つの石板造りの湯
船が配され、左の主浴
槽は少し熱め、八角形
を呈した右の小浴槽は
ぬるめとなっていまし
た。
一方、浴場名に相応し
い自然林に囲まれた露
天には、大小の2つの
岩風呂があり、それぞ
れ少しぬるめの湯が満
たされていました。
13室を数える客室はそれぞれ床の間・書院のデザインを異にしている
など、建築に当たった地元職人たちの拘りが随所に感じられ、1997年
6月に国の登録有形文化財に登録されました。
なお、初めて四万温泉を訪れた今回の旅では、3階の“欝金の二”と
いうお部屋を利用させていただきました(1泊2食 12750円)。

そして、山荘の4階から“鏡の廊下”を通って再びエレベーターで上
がるのが、松林の中に1986年に建築された鉄筋4階建て(5~8階)・客
室全16室の佳松亭積善で、チェックインと朝食でフロントロビーの奥
にあるラウンジを利用しました。
戦国時代には、関東管領であった上杉憲政(1523~1579)が度々訪れ、
1563(永禄6)年に武田信玄方の真田幸隆の攻めを受けた岩櫃城主 斎藤
基国の家臣で、落城の際のしんがりを務めた田村甚五郎清政が、この
地に留まって湯屋を設置。真田昌幸もその孫である田村彦左衛門に湯
守を命じ、整備に力を入れたそうです。
17世紀後半になると湯治場として広く知られるようになり、大正時代
後半からは長期滞在型の利用が増加。与謝野晶子や高村光太郎・太宰
治といった文人も訪れていたとのことです。

温泉街は奥から日向見・ゆずりは・新湯・山口・温泉口という5つの
地区に分かれ、1954年には酸ケ湯温泉・日光湯本温泉とともに国民保
養温泉地の第1号に指定されています。

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さらに、右奥にはタイル
で造られた椅子に寝そべ
って楽しめる蒸湯が2室
あり、その奥にはシャワ
ーも備えられています。

以上の各浴場の湯船に利
用されているのは、慶雲
橋から100mほど上流の
新湯川河床で毎分900ℓ
以上湧出しているという
“明治の湯”。