住 所   群馬県吾妻郡中之条町四万
  電 話   
 営業時間   2013.04 閉鎖
 入浴料   無料
温泉利用状況   完全放流式
   
 源 泉 名   
  泉 質   ナトリウム・カルシウム-塩化物・硫酸塩泉
 湧出量       ℓ/min
 泉 温        ℃
 pH   
 成分総計         g/㎏
 





 入浴履歴   初訪10.09.24
 評 価   ★★★★
 四万温泉
山口露天風呂
                           しまおんせん やまぐちろてんぶろ
また、利用時間については、午前9時から午後9時までという
情報を得ていましたが、熊の目撃情報が寄せられたとのこと
で、夕方5時までに変更されていました。

各湯船に掛け流されているのは、含石膏-食塩泉。
成分表が掲示されていなかったことから、源泉に関する詳細
なデータは分かりませんが、湯温は右手の湯船が少し熱め、
左が熱めで、無色透明の湯からは、香り・味ともほとんど感
じられませんでした。


轟音を立てながら流下する四万川の畔という抜群のロケーシ
ョンながら、対岸の宿からは丸見えのため、下段の湯船は葦
簀、上段は御簾戸で目隠しが行われており、期待していたほ
どの開放感を感じることができなかったのが、いささか残念
でした。                  〔12.03.30〕
川に架かる鉄橋を渡り、左へ延び
る河原石を敷き詰めた歩道を進む
と、左右で男女別に分かれた小さ
な脱衣小屋があり、その横に4つ
の岩風呂が設けられていました。

ただし、訪問時に湯が張られてい
たのは四阿が掛かる上段の2つの
湯船だけで、川に近い下段の2つ
は空っぽとなっていました。
『山口露天風呂』は、四万大橋の手
前で国道から旧街道へ入り、四万川
に沿いに北北西へ約1.1㎞、2001年
に鐘寿館という宿から譲り受け、山
口地区に開設された町営の混浴露天
風呂です。

「渓声の宿 いずみや」のすぐ先に
立つ引込み電柱の小さな袖看板を頼
りに左手の階段を下りると、四万川
の対岸(右岸)に四阿付きの露天風呂
が見えます。
戦国時代には、関東管領であった上杉憲政(1523~1579)が度々訪れ、
1563(永禄6)年に武田信玄方の真田幸隆の攻めを受けた岩櫃城主 斎藤
基国の家臣で、落城の際のしんがりを務めた田村甚五郎清政が、この
地に留まって湯屋を設置。真田昌幸もその孫である田村彦左衛門に湯
守を命じ、整備に力を入れたそうです。
17世紀後半になると湯治場として広く知られるようになり、大正時代
後半からは長期滞在型の利用が増加。与謝野晶子や高村光太郎・太宰
治といった文人も訪れていたとのことです。

温泉街は奥から日向見・ゆずりは・新湯・山口・温泉口という5つの
地区に分かれ、1954年には酸ケ湯温泉・日光湯本温泉とともに国民保
養温泉地の第1号に指定されています。
四万温泉は、国道145号の伊勢町上交差点から国道353号で北へ約14km、
1500m級の山々に囲まれた四万川とその支流である日向見川・新湯川沿
いに36軒の旅館・ホテルが建ち並ぶ温泉地で、草津温泉・伊香保温泉と
並んで“上州三名湯”と呼ばれています。

延暦年間(782~806)に蝦夷征討の際に立寄った坂上田村麻呂が発見した
とも、989(永延3)年頃、越後から上野国へ越えてきた源頼光の四天王の
1人である碓氷日向守貞光が、夜中読経を行っていたところ、夜半にど
こからともなく現われた童子が「汝が読経の誠心に感じて四万の病悩を
治する霊泉を授ける。我はこの山の神霊なり。」という神託を授け、お
告げのとおりに発見されたその温泉を“御夢想の湯”、その地を“四万
郷”と名付けたとも伝えられています。

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