住 所   鹿児島県霧島市牧園町高千穂3968
  電 話   0995-78-2255
 営業時間   立寄り 8:00~20:00
 入浴料   500円
温泉利用状況   完全放流式 (加水あり・塩素系薬剤 使用)
   
 源 泉 名   新湯2・3・4・5号
  泉 質   単純硫黄泉
 湧出量       ℓ/min
 泉 温   62.7  ℃
 pH   5.9
 成分総計   0.1648 g/㎏
    Na=3.6/K=1.5/Ca=6.9/Mg=2.3/Fe2=0.2(14.5㎎/㎏)
  F=0.1/Cl=2.1/SO4=9.6/HCO3=20.6/HS=0.9/
  S2O3=9.5(42.8㎎/㎏)
  H2SiO3=44.2/HBO2=13.8(58.0㎎/㎏)
  CO2=38.1/H2S=11.4(49.5㎎/㎏)
     
〔2008.09.17〕
 入浴履歴   初訪13.07.12 泊
 評 価   ★★★★★★★
 新湯温泉
国民宿舎 霧島新燃荘
           しんゆおんせん こくみんしゅくしゃ きりしましんもえそう
意外にも少し熱
めの濁り湯は、
青白磁のような
美しい色合い。

時折、湯船から
上がってクール
ダウンを挟みつ
つ、入浴時間が
制限されるほど
のしっかりした
硫化水素臭に包
まれながら、至
福の時間を過ご
しました。
そして、いよいよ浴場棟の右横に設えられているこの宿の名物風呂であ
る混浴露天風呂へ入湯します。

鉤状を呈した池のような広々した湯船には、療養泉のすぐ横でパイプか
ら打たせ湯のように源泉が加えられているほか、足元からも湧出してい
るようです。
さらに、女性内湯の横を抜けた奥には“治療泉”と呼ばれる皮膚疾患で
治療に来られた方専用の浴場が男女別に設けられており、脱衣所との間
を低い目隠しで画しただけの一体型の浴室には、1.9m弱×1.45mほど
の木造りの湯船が置かれ、少し青みを帯びた白濁湯が満たされていまし
た。
湯船には、炊飯時
のお米のとぎ汁の
ような透明度20cm
ほどの少し熱めの
白濁湯がたっぷり。

正面のガラス窓の
下には大小の岩が
積み上げられ、源
泉が伝い落されて
いる仕切り壁沿い
の岩は、析出物に
よって真っ白とな
っていました。
ガラス窓が巡り、塩ビの波板で屋根
を葺いた浴室は採光良好で、左手前
に3基のカランが並び、右側手前に
掛け湯槽、目の前には手前の縁に丸
太を這わした4.45×2.9m強ほどの
湯船が幅一杯に配されています。
一方、内湯の手前に2室用意されている家族湯には、溶岩のような岩を固めた
中に樹齢300年のツガの大木を刳り抜いた一人用の臼風呂が据え置かれ、内湯
より透明度のある水色の濁り湯が湛えられています。
立寄り客が帰途につく頃を見計ら
って外風呂へ。
玄関正面に設置されている新湯温
泉の掲載記事を紹介した掲示板の
左横から階段を下りると、別棟の
浴場棟へ至ります。

手前が男、その奥が女性用の内湯
に分かれ、板張りの脱衣所には、
左右に設えられた棚に21個のプラ
スチック籠が備えられていました。
浴室は簀子敷きのような板張りで、手前左右にカラン1基、
奥に2.4m弱×1.2mほどの湯船が配され、硫化水素ガス対策
でしょうか、左奥の板壁には隙間が空いています。
湯船には奥壁を伝うよう
に上方から自家源泉の単
純硫黄泉が静かに注がれ、
湯船に満たされた透明度
30cmほどの水色に濁った
適温湯からは、硫黄臭と
少炭酸味が感じられ、湯
の中には白い細粒の湯の
華が多量に舞っていまし
た。
山の斜面の途中に設けられた駐車場に車を停め、はやる気持ちを抑え
ながら坂道を下っていくと、沢を挟んだ対岸に鄙びた湯治場の雰囲気
を漂わせた建物群が見えてきます。
沢に架かる橋を渡ると、右に1987年に増築、2012年に一部改装された
赤瓦葺き木造2階建ての本館、左に傾斜の緩い切妻屋根を載せた木造
の浴場棟、その背後に積まれた石垣の上に歴史を感じさせる木造平屋
建ての湯治棟が建ち並び、本館客室は全10室を数えます。

本館へ入って正面のフロントでチェックインを済ませると、案内され
たのは本館2階の“ほおの木”(1泊2食7500円+入湯税)。
お部屋自体は決して広くはありませんが、トイレや小さな洗面台も付
設されており、何ら不都合は感じませんでした。
茅葺き屋根の浴舎を手始めに復旧が進むと、全国から多くの入浴客が
訪れるようになり、1972年には金融機関からの融資を受けて木造2階
建ての本館と浴場棟を建築し、翌年に(財)国立公園協会より民営国民
宿舎の指定を受けました。
その後も、1989年3月にアトピー性皮膚炎の治療に訪れていた鹿児島
の母娘が硫化水素ガス中毒によって死亡するという痛ましい事故があ
り、2011年1月26日の新燃岳の噴火に伴って休業を余儀なくされまし
たが、2012年7月25日から立寄り入浴の営業を開始、8月26日には宿泊
も再開されました。

現在では年間の入浴客が5万人を超えるというわが国でも屈指の人気
宿で、かねてより効能豊かな硫黄泉をぜひとも堪能したいと願ってい
ましたので、初めての鹿児島訪問に際して宿泊することにしました。
1951年に先代館主の岩元静夫氏が売り出された温泉の権利を120万円
で購入し、同年5月1日に営業を始めました。
ところが、1954年8月18日に県西部へ上陸した台風5号がもたらした豪
雨によって北側の山が高さ30m、幅40mにわたって地滑りを起こし、
宿は6万㎥の土砂に埋め尽くされ、館主の実妹を含む従業員・湯治客9
名が死亡するという壊滅的被害に見舞われます。

自衛隊による遺体収容と災害復旧工事が終わり、岩元氏が埋没した泉
源の再掘に取り掛かったのは3年後。
所有していた山林や土地を処分して得た資金を投じ、慢性皮膚病に特
効のある温泉を再び世に供したいとの一念でスコップとツルハシを手
に掘り進め、遂に被災から5年が経過した1959年のクリスマスに泉源
を掘り当てました。
『国民宿舎 霧島新燃荘』は、国道223号の霧島温泉丸尾交差点から県道小林えびの高原牧園線(1号)と霧島
高原小林線(104号)を経由して東北東方向へ6.2㎞ほど上り、案内板の先を左へ折れて430m余り北へ向かう
と、赤松林に囲まれた標高920mの谷間に所在する新湯温泉の一軒宿である民営の国民宿舎です。

新湯温泉は、1879(明治12)年、ハンセン病を患っていた四国の高窪豊造氏が神のお告げにしたがって新燃岳
中腹の小川を堰き止めて入浴したところ、病状が快方に向かったことから世に広く知られることとなったと
いう霧島温泉郷の中では最も高所に位置する温泉で、明治20年代半ばに松元モト氏が現在の鹿児島市国分か
ら湯守として移り住んで皮膚病の湯治に供されるようになり、1901(明治34)年には谷山村の羽月氏が温泉を
譲り受け、昭和に入ると後を継いだ一子 国雄氏によって自炊棟・宿泊棟が増築されました。

トップページへ



鹿児島県の温泉へ



特に印象に残ったのが、浴場棟と裸電球の灯りの下での夜の湯浴み。
露天風呂に浸かりながら夜空を見上げると、満点の星がまるで自分の上に降り注いでくるようで、これまで
に体験したことのない格別なひと時となりました。                    〔14.07.07〕
荷を下ろし、まずは宿泊客と休憩
入浴客のみが利用できる本館内の
内風呂へ向かいます。

本館奥を左に折れると狭い廊下の
右側に男女別の内湯と家族風呂、
女性専用露天の計5つの浴場があ
り、男性内湯は一番奥。
板張りの脱衣所には、左側に3段
棚が鉤形に設えられ、プラスチッ
ク籠3個が備えられていました。