住 所   和歌山県西牟婁郡白浜町3078
  電 話   0739-43-1111
 営業時間   
 入浴料   
温泉利用状況   完全放流式 (加水あり・塩素系薬剤 使用)
   
 源 泉 名   藤乃湯 / 衝幹湯1・2号 混合泉
  泉 質   含硫黄-ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉 /
  ナトリウム-塩化物泉
 湧出量   224 / 521  ℓ/min
 泉 温   78.8 / 61.9 ℃
 pH   8.1 / 7.2
 成分総計   7.353 / 19.753 g/㎏
    H=<0.1/Na=2107/K=130.9/Ca=16.2/Mg=65.9/Al=0.4/
  Fe2=0.1/Mn=0.2(2321㎎/㎏)
  F=2.4/Cl=2120/SO4=97.5/HCO3=2473/CO3=120.0/
  OH=<0.1/HS=<0.1/S2O3=2.4/BO2=<0.1/
  HSiO3=4.8(4820㎎/㎏)
  H2Si03=123.9/HBO2=55.3(179.2㎎/㎏)
  C02=32.9/H2S=<0.1(32.9㎎/㎏)      
〔2003.12.08〕

  H=<0.1/Na=5352/K=243.3/Ca=387.5/Mg=757.8/Al=0.5/
  Fe2=0.2/Mn=1.8(6743㎎/㎏)
  F=2.3/Cl=10256/SO4=1304/HCO3=1214/CO3=1.6/
  OH=<0.1/HS=<0.1/S2O3=0.9/BO2=<0.1/
  HSiO3=<0.1(12778㎎/㎏)
  H2Si03=76.8/HBO2=35.4(112.2㎎/㎏)
  C02=119.9/H2S=<0.1(119.9㎎/㎏)    
〔2005.02.25〕

 入浴履歴   初訪08.12.20 泊
 評 価   ★★★★
 白浜温泉
ホテル三楽荘
                        しらはまおんせん ほてるさんらくそう
脱衣所には籠を納めた5段の鉄製
棚が並び、洗面台もきちんと数を
備えた落ち着いた造りとなってい
ます。

浴室はいずれの浴場とも脱衣所の
階下に設けられていますが、この
ホテルの自慢は畳敷き。
脱衣所はもちろんのこと、夕月は
階段を下りて折り返したところま
で、宵待に至っては浴室全体に耐
水畳が敷き並べられていました。
夕月には、階段の途中と下に藤乃湯を満たした六角形と方形
の木造湯船、折り返した先に衝幹湯を注いだ回廊状長方形の
タイル張り湯船、さらにその奥に水風呂1・藤乃湯2の陶器風
呂が配され、宵待には、階段を下りて折り返した位置に長方
形の木造湯船、奥にやはり同形のタイル張り湯船が置かれ、
それぞれ藤乃湯と衝幹湯が供されています。

まずは、藤乃湯へ入湯。
無色透明の湯からは、浸かった瞬間にまずしっかりした重曹
臭、その後これに弱硫黄臭と潮臭が加わったような匂いが香
り、薄塩味とつるっとした肌触りも感じられました。
一方、衝幹湯はほんのりと白濁し、やはり弱い硫黄臭が香る
よく温まるお湯でした。
『ホテル三楽荘』は、白良浜の公共駐車場から県道白浜温泉線(34号)を
130mほど南へ向かうと左手に所在する1955年創業の鉄筋コンクリート
造り9階建てのリゾートホテルで、白良浜と鉛山湾を望む全客室オーシ
ャンビューが人気となっています。
このホテルでは、藤乃湯と衝幹(つくもと)湯という未湯の源泉2本を完
全放流式で利用しているとのことであり、年末の家族旅行で宿泊利用す
ることにしました。

大浴場は2階。
エレベーターで下りると正面に売店とゲームコーナーがあり、廊下を挟
んだ右手前に“夕月”、奥にそれより一回り小さい“宵待”という、深
夜1時半に男女入替えとなる2つの大浴場が設けられています。

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両源泉とも、泉温が高温で
あることから加水を余儀な
くされているのが、少し残
念です。

加水量次第ではまったく異
なる浴感となってしまう懸
念はあるものの、掛け流し
で供された湯はやはり気持
ちが良く、初めての白浜の
宿ぶろを存分に楽しむこと
ができました。
〔10.12.11,11.09.03 記
 事補訂〕
大浴場 宵待
白浜温泉は、阪和自動車道の南紀田辺I.Cから国道42号田辺バイパスと県道南紀白浜空港線(33号)・田辺白
浜線(31号)経由で12㎞余り、太平洋を望む田辺湾から鉛山湾の沿岸に70軒余りのホテル・旅館・民宿・ペン
ション・保養所などが点在する、古賀浦・大浦・湯崎など5つの温泉地からなる温泉郷です。
中でも湯崎温泉は、『日本書紀』の斉明天皇条に「牟婁の温湯」「紀の
温湯」として登場し、兵庫県有馬温泉・愛媛県道後温泉と並んで“日本
三古泉”の一つとして数えられています。
また、明治時代の初期には、礦湯・浜の湯・元の湯・疝気湯・阿波湯・
屋形湯・崎の湯という7か所の湯が知られ、“湯崎七湯”と称されてい
ました。

長らく湯崎(鉛山)地区のみに限られていた温泉地が大きく拡大、発展し
たのは、開発会社によるボーリングで各地区に新たな温泉地が誕生し始
めた1920年代以降。
昭和に入ると製塩事業の熱源として高温源泉が盛んに掘削され、1941年
には1分間の湧出量が13000ℓに達していたそうです。