住 所   石川県加賀市山代温泉18-128
  電 話   0761-76-0144
 営業時間   6:00~22:00 (休=第4水 6:00~12:00)
 入浴料   500円
温泉利用状況   完全放流式 (夏期 加水あり・塩素系薬剤 使用)
   
 源 泉 名   山代温泉新第1号源泉
  泉 質   ナトリウム・カルシウム-硫酸塩・塩化物泉
 湧出量   550  ℓ/min
 泉 温   63.2  ℃
 pH   7.8
 成分総計   1.335 g/㎏
    Li=0.1/Sr=0.6/Na=323.2/K=9.1/Ca=89.8/Mg=0.2/
  Al=<0.1/NH4=0.1/Fe2=0.3/Fe3=<0.1/Ba=<0.1/Mn=<0.1
  (423.4㎎/㎏)
  F=4.6/I=<0.1/Br=0.5/Cl=183.4/SO4=559.4/HSO4=<0.1/
  HCO3=65.2/CO3=0.3/HS=<0.1/S2O3=<0.1/S=<0.1
  (813.4㎎/㎏)
  HAsO2=0.1/H2SiO3=80.8/HBO2=6.8(87.8㎎/㎏)
  CO2=10.7/H2S=<0.1(10.7㎎/㎏)
      
〔2009.06.12〕
 入浴履歴   初訪13.05.03
 評 価   ★★★★
 山代温泉
古 総 湯
                               やましろおんせん こそうゆ
加賀エリアの総湯としては珍しく掛け流しで供されているのは、総湯
や老舗旅館でも利用され、山代一の名泉と謳われている新1号源泉と
呼ばれる含食塩-芒硝泉。
注入量によって適温に調整された無色透明の湯からは芒硝臭が香り、
肌がしっとりしましたが、新湯の注入が少ないためか塩素系の薬剤が
使用されており、残念ながらその臭いが少々気になりました。

照度が抑えられた浴室には、色ガラスを通して射し込んだ鮮やかな光
が湯面に落とされ、独特の雰囲気を演出。
湯上がりには2階へ上がり、畳敷きの休憩室でのんびりとお茶をいた
だきました。                    〔14.04.06〕
昔ながらの湯に浸
かるだけを目的と
した浴室には、中
央奥寄りに3.6m
弱×2.65m強ほど
の板石張りの湯船
のみが配され、手
前に置かれた九谷
焼のタイルで設え
られた八角形の源
泉槽から、石樋を
介して泉温60℃超
の源泉がトボトボ
と加えられていま
す。
中央が吹抜けとなった高い格天井の浴場は、左手前が脱衣所、その前が
浴室となった、新設の入浴施設には珍しい一体型の造り。

床から壁の下端は往時を忠実に復元した九谷焼の白タイル張り、その上
は拭き漆仕上げの縦板張りで、正面左端と左壁の奥に設えられた格子窓
には、美しい5色の色ガラスが嵌められています。
利用者は東側の女湯入口の右横に設
置された券売機で入浴券を購入し、
男性は反対側へ回って改札所で券を
手渡して、その左手の木戸から入場
します。

中に入ると幅狭の廊下を挟んで正面
に下足箱、その左に貴重品ロッカー
が備えられ、下足箱の右側が浴場へ
の入口となっていました。
『古総湯』は、共同浴場である総湯を囲むように湯宿や商店が建ち並
ぶ「湯の曲輪(ゆのがわ)」という江戸時代中期に形成された歴史的な
街区の再生と賑わいの創出のため、浴殿と呼ばれた旧総湯に代わって
2009年8月に開業した総湯に続き、山代温泉の歴史や文化とともに明
治期の入浴様式や雰囲気を学ぶことができる“体験型温泉博物館”と
銘打ち、浴殿の跡地に2010年10月3日にオープンした入浴施設です。

1886(明治19)年に建てられた総湯を可能な限り再現したという建物は、
基礎にはコンクリート工法が採られているものの、柱に檜や杉、梁に
檜・能登ヒバを用いた木造寄棟造りの2階建てで、1階の屋根を杮葺き、
2階を北陸地方独特の赤い釉薬瓦で仕上げ、休憩室となっている2階に
は、当時は最先端であったという色ガラスが巡らされています。
山代温泉は、北陸自動車道の加賀I.Cから県道加賀インター線(61号)と
国道8・364号、県道水田丸黒瀬線(151号)を経由して東へ約7.3㎞、同じ
加賀市内に湯けむりを上げる山中・片山津温泉、小松市に所在する粟津
温泉とともに“加賀温泉郷”、あるいは“加賀四湯”と総称されている
北陸地方を代表する温泉地です。

725(神亀2)年、白山へ登拝するためにこの地を訪れていた行基が、1羽
の烏(八咫烏という説もあり)が湧き水で羽の傷を癒しているのを見つけ
て発見されたと伝えられる古湯で、その際、薬師如来・日光月光菩薩・
十二神将像を守護仏として建立された薬王院温泉寺が、997(長徳3)年に
花山法皇の勅命を受けた明覚上人によって七堂迦藍が建立されて勅願寺
となると、全国的にその名が広まりました。

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浴室との間に低い目隠しを挟んだ
だけの簀子敷きの脱衣所には、2
段14庫の脱衣箱と丸椅子2脚が備
えられ、脱衣箱の上には現代の入
浴心得が掲げられていました。
訪れた時は開け放たれていました
が、四面には南北の妻側に各2か
所、東西の平側に3か所ずつの両
開きの格子戸が設けられ、足を踏
み入れると中には土間が巡り、清
々しい板壁には、複製された明治
期の入浴心得や温泉分析表、明治
~昭和期の総湯や湯の曲輪の写真
が掲示されていました。
戦国時代の1565(永禄8)年5月には、朝倉義景に仕えていた明智光秀が
傷を癒すために10日間にわたって滞在し、江戸時代には加賀藩の歴代
藩主も訪問しています。
中でも2代前田利常は、1647(正保4)年から3年続けて訪れるなどこの
温泉を気に入り、堀口宗也を湯元惣支配に任じて藩専用の湯壺を設置
したほか、その三男で支藩 大聖寺藩の初代藩主に就いた前田利治も、
荒屋源右衛門を湯番頭に任命し、藩主専用の湯壺を造らせました。

近代に入ると泉鏡花や与謝野晶子・北大路魯山人などの文化人に愛さ
れ、戦後は北陸自動車道の開通なども手伝って歓楽型の温泉地として
大きく発展しましたが、バブル経済崩壊後は急激に衰退し、宿泊施設
数は最盛期の半分以下の19軒(観光協会HP)となっています。
薬王院温泉寺